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 私は確かに死んだはずなのに、なんで死んだ私をみんなが認識しているのかはわからない。
でも、一番の問題は、そう、これなら生きている時とほとんど変わっていないということだ。
彼女のいない世界に絶望し、彼女のいない世界から逃れようと自殺を図ったというのに、実際死んでみたら私という人間の体は死んでいるはずなのに死んでいないという実態に陥ってしまっていることだ。
 
ああ、何ということだろう。
これじゃ本末転倒じゃないか、何事もなしえてないじゃないか。
そう思って、散々に泣いた。泣いた後に、ふと違う自殺方法なら私という人間は死ぬのではないだろうか、先ほどは首吊り自殺という名の自殺であったため、私という人間は死んでいないのではないだろうか、と思い立った。
 
 前文でも述べたとおりに、私という人間は一度思い立ったら実行する人間だ。中学校の先生は、
「お前な、一度考えてから行動しろ。だから体育で同じミスを繰り返すんだ。何度バスケゴールに入りそうなボールをダンクみたいな形で入れて、足をけがしたと思っているんだ、うんたらかんたら…。」
 
と言われたぐらいである。
ああ、もちろん先生はうんたらかんたらなんて言っていない。ただ私が思い出せないだけだ。
―ちなみに、そのあと卒業するまで私はこの行動をやめなかった。
やめる意味が見いだせなかったからである。
まあ、高校のときは彼女に、けがされたら私もつらいからもうやめてと諌められ、さすがに彼女にいわれてまでやるということはしなかった。
 
 ああ、話が脱線してしまった。
つまりだ。
私という人間は、また同じ行動―つまり、自殺―を繰り返したのである。違った方法で。
前回は、空中にいたので、次回はちゃんと地に足をつけて自殺をしてみることにした。
 
つまりだ。
いわゆる腹切り、切腹という方法である。それにしてもだ、時代劇では案外あっけなく死んでいるので、あっけなく死ねるものだと思ったのだが、さし所が悪かったのか、存分にのた打ち回った。
 
 うん、のた打ち回ってしまった。
 
…つまり、だ。
つまりつまり、くどいようだが、話を分かりやすくするためなので理解してほしい。
皆さんももう察することができるだろうが、部屋中血まみれという猟奇ホラー真っ青な状態になってしまった。
つまり、あっ、ちがくて、ということで、隣の武田さんがわくわくする展開で、この前、貸した本と同じ状況になってしまった、不覚だ。
後から調べてみると、腹切りというものは実際そんなにすぐ死ねないので、介錯人という人が斧などで、切腹の手伝いなどをしていたそうだ。
 
 なんという事だ。
 
 でも、これだけ痛い思いをして、のた打ち回ったのだから、確実に死ぬことができるはずだ。
その上、介錯人がいなかったため名誉の死になるはずだ。―地位の高いもの、名誉のあるものは介錯人を与えなかったそうだ―
 
…そう思っていた私が甘かった。
自殺をした結果、私の部屋に大ダメージを与え、さらに私の死体が増えているだけだった。
なんということだろう。私は頭を抱えてしまった。別に部屋のリフォームなんて望んでなかったのに。
しかも隣の武田さんがわくわくするような部屋に。
…なんかこの部屋にいたら、精神衛生上非常によろしくない気がする。
いや、自殺しているという時点で私の精神というものはほとんど壊滅しているのだろうが…。
 
 いや、今度こそは私はただの幽霊になっているという可能性も無きにしも非ず。
まあ、何というか、その、彼女には会えていないが、彼女に会うための条件は達成しているはずで、それで私というものは、あと彼女を探すという目的だけになるだろうと、楽観的に考えていたのが悪かった。
 
…結論から言うと、また私は他の人に見えているようだった。
彼女を探すことに専念しようと、一度外に出てみて、繁華街まで行ってみて、幽霊ならば他の人を素通りできるはずだと考え、そのまま人にぶつかったときに判明した。
 
…どうやら、私という人間は、また幽霊になれていないようだった。くっそ。不覚だ。それにぶつかった人間は、ヤがつくご職業の方のようで、
「何ぶつかっとんじゃあ!ワレぇ!てめぇ、神崎組に喧嘩でも売っとんのかぁ?あぁあん?」
 
 とメンチを切られて、危うく、二度とお天道様を拝められないような顔にされるところだった。
最近の人間というものはここまで切れやすいのか、現代社会の闇というものの影響だろうか。
なんと嘆かわしく、とても恐ろしいことか。
と他人事のように彼が怒っているのを眺めていたら、その様子に腹が立ったのだろうか。
余計鋭い目でにらまれてしまい、慌てて
「あ、すいません。その、今日メガネを忘れてしまっていまして。前が見えていなかったのです。本当にすいません。」
 
 ととっさに嘘をつき、事なきを得た。
まったく恐ろしいものだ。それにしても私の顔が、彼女に言われた通り“普段メガネをかけていそうなメガネが似合う凡庸な顔”という褒め言葉とも貶しているともとられる様な―いや、どちらかというと貶し成分の方が多いだろうか―顔をしていてよかったと心底思った。
 
ちなみに私は裸眼で両目どっちも2.5以上もあるので、メガネなんかかけたら即吐く自信がある。
いや、自信だけじゃない。実際、高校の頃見た目絶対裸眼だろうと思われる友人がコンタクトをたまたま入れ忘れてメガネを持ってきた時、私にふざけて、
「お前、絶対メガネ似合うからかけてみろよ」
といって私にメガネをかけたとき実際吐いた。
目の前がぐわんぐわんして焦点が合わなくなってしまった。
本当にあの時はめったに取り乱したりしない私も焦った。そして同じぐらい友人もあせっていた。
ちょうど通りがかったクラス委員長の笹井さんも、もらった資料をすべて手から滑らせるぐらい焦っていた。
後から聞いた話によると、友人は裸眼で、余裕で0.1を切るぐらい目が悪いらしい。何ということだ。こんなに目が良い私に、そんなものを見せて普通でいられると思っていたのか。
そもそも、裸眼で余裕で0.1を切るというのに、どうやって私の顔を認識しようとしたのだろうか。浅はかだな。
でもその友人のおかげで保健室の天使となっていた彼女に出会えたので許してやろう。
 ああ、うっかり彼女との馴初めを思い出してしまった。
いや、彼女のことはこの場を借りても書き尽くせない。彼女のことを書こうとすると、一生かかっても書ききれない。というか、彼女のことを書くと決めたら120歳まで生きなければいけないという義務が発生する。
 
まあ、彼女のことは私だけがすべて知っていればいいので、そんなことをしないが。
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