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prologue
「あら、エメリアちゃん。」
エメリアは、おばあちゃんの家へ向かっている途中、おばあちゃんの家の近所―といっても、三キロ以上は離れているのだが―のおばさんに出会った。
彼女は、アベルという名前で、エメリアのことを自分の娘みたいにかわいがってくれている人で、それに”悪魔の森”の近くに住んでいるというだけで村の多くの人にあまり好意的に思われていないおばあちゃんのことを心配してくれている、唯一の”おせっかい”さんなのである。
「こんにちは、アベルさん。今日はいい天気ですね」
「ええ、いい天気ねぇ。ここ最近、雨ばっかり降っていたから、いやになってたけれども、でも晴れてよかったわ。」
「それに、やっと洗濯物を外に干せますしね」
「でも地面が乾くのはしばらくかかりそうね、特に日陰とか。おかげさまで、先ほど滑って転びそうになってしまったわよ、まったく。エメリアちゃんも気を付けてね。」
忌々しそうに、地面をにらみつけるアベルさんに、はい、と苦笑しながら答えるとアベルさんは、あ、そうそう、と思い出したように言った。…本来は、こっちが話しかけた目的だったようだが、彼女はいつもたわいのない話で本題を忘れてしまうことがあるのだ。
そこに愛嬌があるな、とエメリアは思うのである。
「なんでしょうか?」
「あのね、今日、朝からエメリアちゃんのおばあちゃんがいないのよ。エメリアちゃんの家にいると思ったのだけれども、ここにエメリアちゃんだけが来たってことは、どうやら違うみたいね。」
おばあちゃんが、いない。
エメリアはアップルパイを食べるという目標がガラガラと崩れる音が聞こえたような気がした。
いや、実際に崩れた。
なぜなら、おばあちゃんが朝からいない場合、平気で一週間や二週間、どっかに行っているからである。
「あ、そ、そうなんですか…。」
目に見えて落ち込んだエメリアに、アベルさんは、慌てて言い足した。
「ああ、そういえば、昨日『アップルパイの生地を作る材料が底をつきてしまってね。ものすごく嫌だけれど、明日、バザー祭りがあるだろ?そこで買ってこようかと思って』なんて世間話をしたから、もしかしたらバザー祭りに行ってるかもしれないわよ?行って来たらどうかしら。」
「え、あ、いいです。お気遣いありがとうございます…。」
エメリアは瞬時に思った。絶対おばあちゃんはバザー祭りなんかに行かない。そもそも、僕が行ったとして、母親に会う確率のほうが高く、遥かに面倒なことになるだろう、と。
だから、死んでも行くもんか!と。
しかし、その判断は間違っていたのである。エメリアは、おばあちゃんに会う確率が1%にも満たなくても、そして母親に見つかって面倒なことになっても、人に押されもみくちゃになって人酔いしても、バザー祭りに行くべきだったのである。
そうすれば、”あれ”に会うことなんて、無かったのに。
エメリアは、挨拶もそこそこに、家へ帰る道へと戻った。
―そんな時である。声が聞こえたのは。
「え?」
”悪魔の森”と称される、その森の中から、女の子の声が聞こえたのは。
「え、うそ…、あの”悪魔の森”に誰か、入ってる…!?」
エメリアは、瞬時に”助けなきゃ”と思った。もうその時からすでに、”あれ”の手中にいるということも気づかずに。
「あ、ど、どうしよう、でも、僕何も持ってない…。」
大人を呼んでこないと。きっと、間違って入っちゃったんだ。
―でも、エメリア。呼びに行ってる間に、その女の子は、殺されているかもしれないよ。
でも僕、今日に限って何も持ってきてないんだ。
―大丈夫。エメリア。走って逃げればいいだけさ、その女の子とともに。
逃げ切れるかどうかわからないよ。
―エメリア、君は村一番に早いだろう?大丈夫だよ。きっと逃げ切れるさ。
そうだね、じゃあ、助けなきゃ!
エメリアは、そうして、”悪魔の森”の中に入って、その女の子を助けるということを決めたのであった。
―でも、エメリアはよく考えるべきだった。ここは”悪魔の森”。迷い、弱り、困っている人の心に狡猾に入り込む、その悪魔という名を冠した森である。人の心を惑わすには、たやすく、さらにおばあちゃんがいないという戸惑いで心を乱しているエメリアを惑わすことは、非常にたやすいということを。
―そして、エメリアは気づくべきだった。今さっき、問答している自分自身だと思っているものが、『エメリア』という風に、他人行儀に問いかけてきたということを。
―そして、エメリアは、思い出すべきだった。
”悪魔の森”は、生きているという伝承を。
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