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wolf
―バタン
ドアが閉まった。
「アリス、君は、全く。最初に言ったよね、開けたらすぐ閉めたほうがいいって。」
どうやら、ダイナのようだ。
しかし、彼女は触れないといっていたはずだが…。
と、ダイナにいぶかしげに視線を送ると、その意図を察したようで、ダイナは何も言ってないが説明をし始めた。
「私は、開けることはかなわないだけで、ドアに触れることはできるんだよ。」
見慣れてきた無表情の彼女にそう注意されれば、確かにそうだったな、と思い返した。
しかし、誰だって忘れるだろう。
あんな光景を見せつけられたりすれば。
そんな思考回路の渦中にいた僕は、気が付かなかったのだ。ドアに触れたとき、彼女はめったに動かさない顔の筋肉を、ゆがめていたということを。
まあ、当時のエメリア―僕―は、そんなこと気づく余裕もなく、思ったことをそのまま口に出した。
「あれ…あれなんなの…!」
「本の虫、まあ、シミさ。」
「シミってのはわからないけれど…。本の虫って、たまに本の中に挟まってていつの間にか本を食ってる?」
「うん、それだよ。間違っても本が大好きで読み漁ってる―」
「じゃあ、なんであんなにでかいの!」
僕はいらないボケを入れようとしたダイナのセリフをぶった切った。
当たり前だ。メタ発言かもしれないが、シリアスシーンで無駄なギャグを挟むと読む人はドン引きする気がする。僕はそうだ、と心の中で思った。
私が見たことのある、いわゆる本の虫は大体0.3ミリぐらい、人の目で判断できるか出来ないかぐらいの大きさのはずだ。
あれが、あんな巨体になっているなんておかしい。
だって、どう考えても、あれは別の生き物にしか見えない。
「ああ。それは、この世界が本の中の世界だからに決まっているじゃないか。」
「…え?」
ダイナの言っていることが、一瞬理解できなかった。
何を言っているのかが、全然わからなかった。
「だから、この世界が本の中の物語の世界だからさ。だから、本の虫があんなに大きくて、そして現在進行形でこの世界は食われているんだよ。」
「…つまり、私たちは、作られたものってこと…?」
「まあ、そういうことになるね。」
さも、興味なさげに―まあ、無表情だから余計に―言い切った彼女を見て、僕の心が急速に冷えて行った。
「あなた、…なんでそんなに、冷静なの?」
「なんで、とは?」
「だって、私たちの存在が、どこかで操作されてるってことだよね…?」
「んー。今この状況下では、違うかな。このままだと、操作も何もへったぐれもない。物語自体が、消失するからね。」
「は?」
「だから、虫のせいで物語自体が、消えてなくなってしまうんだって。この世の中からね。」
虫のせいで。もう一度、小さくつぶやいた彼女は、無表情だったけど、どこか憎んでいる風な声音をしていた。
虫のせいでこの世界が理不尽にも消失するという現実に対してか、虫そのものに対してか、そもそももっと根源的な何かに対してなのかは判別できなかったけれども。
「じゃあ、私たち、死んでしまうっていうの…?」
指先をぎゅっと握りしめて僕は言った。じゃないと、今にも“あれ”に追いかけられた時のように…。
「このまま、何もしなければね」
「じゃあ、どうすればいいというの…。」
「ひとまず、いったん、逃げよう。物語という作りは簡単でね、アリス。どんな脇役でもいないとこの物語は完成しない。けれども、逆に言えばどんなにちっぽけな脇役でもそこに存在していれば完成はせずとも物語は消失しない。
だから、一度、ここから逃げよう。どうやって物語の消失を食い止めるか、そして元に戻すかということは後できちんと説明するからね、アリス」
すがるものが何もない僕にとっては、じつに、ダイナの提案は救いだった。
「でも、どうやって逃げるの…」
「それは、実に簡単だよアリス。君のペンダントを貸して。」
「ええと。うん…」
「じゃあ手を貸して…行くよ!」
また世界が反転し、すべては光に包まれた。
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